飛驒産業

確かな技術と先進性 なによりもを愛する「心」が飛騨産業の歴史を刻んできました。

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1920年(大正9年)のある日、飛騨高山の町に2人の旅人がやって来て、西洋の曲げ木家具の技術をつたえました。その話に心を動かされた高山町の有志たちは、「飛騨の匠」で知られる伝統技術と、山々に密生したブナ原生林を資源に、株を出資しあって西洋家具メーカーを創業しようと決意したのです。当時としては画期的なベンチャー・ビジネスの誕生でした。椅子など見たこともなかった職人たちは、永年の経験と木の知識に支えられながら試行錯誤をくりかえし、工夫を加えて、2年後には、やはり地場の伝統技である春慶塗の施された椅子を、自信をもって世に送りだすことができるようになりました。以来、飛騨産業の家具は昭和初頭の華・モダニズムを彩り、日本の家具文化を育むとともに、アメリカへの輸出を生産の中心に据えることで、欧米文化につちかわれてきました。戦後は優れたデザインと品質で評判を集め、数々のロングセラーを生みだして、日本人の暮らしに定着していきました。そして、未利用資源の導入や廃材の利用など、飛騨産業の新しい試みと創造力は、今も創業の精神を引き継ぎながら、さらに日本の風土と文化に根ざした家具を産みだそうとしています。飛騨産業には90年を超える歴史の深みがあります。そして蓄積された技術があります。そこに裏打ちされた信頼をさらに高めてゆきたいことはもちろんですが、それ以上に家具は、お使いになる方の思い入れがこもる物です。使えば使うほど想い出や愛着がこめられていく、たったひとつの家具を少しでも長く使っていただきたい。ひとつひとつの家具と、ひとりひとりのお客様を大事にしたい。そうして10年20年、100年経ったときの「蓄積シェア」をたかめてゆきたい。それが私の夢であり、会社の夢です。家具の材料である木は生命あるもの。木を愛する私たちは生命と、それを育む環境を大事にします。たとえば、これまで廃材とされてきた、木の節を積極的に生かした家具、スギ材の家具などもそういった問題意識から開発いたしました。接着剤や塗料もすべて、環境に負荷を与えないものを使っています。また、文化はモノづくりから始まります。「飛騨の匠」の歴史を脈々と受け継いできたこの土地で、私たちがきちんとしたモノづくりに取り組むことは、飛騨の木工文化を活性化させ、さらに日本の木工文化を支えることになります。私たちは、日本のモノづくりの心を世界へ発信できるような企業をめざして、社員全員で一歩ずつ前へ進もうとしています。

2010年9月 新作